イタロ・カルヴィーノ著『マルコヴァルドさんの四季』 ― 2024年01月25日 22:25
連作短編の形式。主人公のマルコヴァルドさんは、都会の暮らしになじみにくい人物だが、貧しく妻子も養わなければならないので都会を離れることができない。毎回、都会の中に自然の気配を感じ取り、自然的な暮らしを夢に見るが、最後は必ずがっかりさせられる、という形式の短い話が繰り返される。
最初は民話的な、ほのぼのともいえる感じなのだが、回を追うごとに現代社会、とくに市場経済への風刺の色が強くなる。といっても、説教じみた教訓話ではなく、全体に皮肉なユーモアが満ちている。
しかし、俺が一番気に入っているのは、マルコヴァルドさんが自然を夢見て都会をさ迷っているうちに、なにやら幻想的でシュールにも見える場所に迷い込んでしまうところである。
「まちがった停留所」では、まちがった停留所で降りてしまったマルコヴァルドさんが、霧の中で迷い、少しでも見晴らしの良い場所へ行こうとして塀に登り、周囲の見えない霧の中、幅の狭い塀の上をどこまでも辿っていく。
「スーパーマーケットへ行ったマルコヴァルドさん」では、スーパーマーケットへ行ったマルコヴァルドさん一家が、商品を満載にしたカートを押しながら店内を駆け巡り、やがて、店舗の拡張工事をやっている壁の穴から工事現場に迷い出て、足場の板の上を一列になって進んでいく。
別に神秘的なことが起こっているわけではないのだが、妙にシュールな絵柄なのである。
最初は民話的な、ほのぼのともいえる感じなのだが、回を追うごとに現代社会、とくに市場経済への風刺の色が強くなる。といっても、説教じみた教訓話ではなく、全体に皮肉なユーモアが満ちている。
しかし、俺が一番気に入っているのは、マルコヴァルドさんが自然を夢見て都会をさ迷っているうちに、なにやら幻想的でシュールにも見える場所に迷い込んでしまうところである。
「まちがった停留所」では、まちがった停留所で降りてしまったマルコヴァルドさんが、霧の中で迷い、少しでも見晴らしの良い場所へ行こうとして塀に登り、周囲の見えない霧の中、幅の狭い塀の上をどこまでも辿っていく。
「スーパーマーケットへ行ったマルコヴァルドさん」では、スーパーマーケットへ行ったマルコヴァルドさん一家が、商品を満載にしたカートを押しながら店内を駆け巡り、やがて、店舗の拡張工事をやっている壁の穴から工事現場に迷い出て、足場の板の上を一列になって進んでいく。
別に神秘的なことが起こっているわけではないのだが、妙にシュールな絵柄なのである。
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