『現代思想2020年1月号』から ― 2022年08月02日 21:53
2021年10月10日記す。
セバスチャン・レードル「共同行為と複数自己意識」。
内容はいたって真面目な哲学エッセイ。行為と複数行為の意識の同質性、というようなもの。しかし俺の興味を引いたのは内容ではない。
「ヘレンはやかんに水を注いでいる。注ぎ終わって、今度はコンロに火をつけている。やかんに水を注ぐことによって、そしてコンロに火をつけることによって、ヘレンは紅茶を作っている。やかんに水を注ぐこととコンロに火をつけることは、紅茶を作るという一つの行為に部分として共に属している。紅茶を作る行為は、やかんに水を注ぐこととコンロに火をつけること----一方は今為されており、その後他方が為される----を含むことで、時間上に広がっている。さらに言うと、コンロに火をつけるとき、ヘレンは片方の手でガス栓をひねり、もう片方の手で点火している」(p.120)。
切りがないのでこのくらいにするが、こういう日常的な行為の回りくどい描写というか説明が、延々と続く。繰り返しの多いくどい文章の奇妙さに、にやにやしながら読む。人間の行為を分析するのが目的で、ユーモアを意図したものではないことが、よりおかしさを生む。
セバスチャン・レードル「共同行為と複数自己意識」。
内容はいたって真面目な哲学エッセイ。行為と複数行為の意識の同質性、というようなもの。しかし俺の興味を引いたのは内容ではない。
「ヘレンはやかんに水を注いでいる。注ぎ終わって、今度はコンロに火をつけている。やかんに水を注ぐことによって、そしてコンロに火をつけることによって、ヘレンは紅茶を作っている。やかんに水を注ぐこととコンロに火をつけることは、紅茶を作るという一つの行為に部分として共に属している。紅茶を作る行為は、やかんに水を注ぐこととコンロに火をつけること----一方は今為されており、その後他方が為される----を含むことで、時間上に広がっている。さらに言うと、コンロに火をつけるとき、ヘレンは片方の手でガス栓をひねり、もう片方の手で点火している」(p.120)。
切りがないのでこのくらいにするが、こういう日常的な行為の回りくどい描写というか説明が、延々と続く。繰り返しの多いくどい文章の奇妙さに、にやにやしながら読む。人間の行為を分析するのが目的で、ユーモアを意図したものではないことが、よりおかしさを生む。
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