。夏目漱石 内田百間 豊島与志雄 島尾敏雄著『新編 日本幻想文学集成8』2021年03月16日 21:54

18年 3月 6日読了。
 夏目漱石は十編が納められているが、やはり「夢十夜」が一番面白い。特に、背負った子供が前世を語り出す第三夜と、船から飛び降りる第七夜と、豚の群れに舐められそうに成る第十夜が俺好み。夢をそのまま描いたように見えるが、同じ巻に収録されている内田百間や島尾敏雄の夢に比べると、ずっと小説的纏まりが在る。
 他には、「趣味の遺伝」の結末の筋が通ったような通らぬような宙ぶらりんの感じが面白い。また、「カーライル博物館」と「倫敦塔」は、小説として面白いというのではないが、漱石の歴史幻想癖とでも言うべき傾向が判って面白い。
 内田百間の「東京日記」と「サラサーテの盤」を読むのはどちらも四度目か五度目。大好きである。日常に幻想が不意に割り込んで来る感じが良い。その他の、見た夢をそのまま書いたような纏まりを欠く作品も好きだ。解説にもあるが、夢幻的雰囲気を台無しにしかねない滑稽味が、不思議と巧く融合している感じが面白い。幻想と恐怖と笑いが、混じり合いもせず分離もせずにたゆたっている。皿鉢小鉢てんりしんり。
 解説の別役実は、内田百間の特徴として、第一に「笑い」、第二に「存在そのものの寂寥感」、第三に「(幻想と)日常過程との連続面に見られる特異性」を揚げている。
 豊島与志雄は、実は俺には馴染みの薄い作家だが、大人向けの現代民話のような「白蛾」と「沼のほとり」はなかなか面白かった。初期の作品は、神秘に憧れながら没入できない葛藤のような物が、自分にも覚えが在るせいか鼻に付く感じ。
 島尾敏雄は、夢を描いて纏まりがないという点では百間以上で、小説的構成もなければ結末もない。ただ断片的イメージが羅列される。百間ほどではないが、島尾敏雄にも微かに笑いの気配がある。「当って砕けろではなくて、砕けてから当たっているんだ」(p.625)。
 もう一つの特徴として、やたらと自分を卑小に描こうとする、自嘲や露悪趣味という以上の自分への攻撃性。作家にはよく在る自己嫌悪かも知らぬが、度が過ぎている感じもする。勿論度が過ぎるくらいの方が面白いのだが。島尾敏雄の「現実に対して痛みを感じられない」距離感は、同時代の作家から批判される事も多かったらしいが、本人こそ「リアリティの回復」に苦しんでいたのかも知れぬ。

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