太刀川英輔著『進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』2023年02月07日 22:43

 変異と適応という生物進化の原理からデザインを中心とした創造的活動の類推をし、応用しようとする一冊。単なる解説書ではなく、読者に創造活動を促し、特に教育で実践することを期待する。
 変異の形式として、変量、擬態、欠失、増殖、転移、交換、分離、逆転、融合の九つを挙げる。俺の感覚的には、擬態は類推、欠失は省略と言い換えた方がしっくりくる。
 変異によって得られた着想は、適応という選択圧によって淘汰されまとめられ磨き上げられる。適応の形式としては、解剖、系統、生態、予測の四つが挙げられる。解剖と生態はそれぞれ内部と外部の構造、系統と予測はそれぞれ過去と未来の構造を示す。
 変異と適応を往復することによってデザインは練り上げられ完成に近づくとする。
 変異的発想は常識を忘れる、バカになることによって得られるとする。「バカになるにも練習が必要なのだ」(P.73)。
 孫引き「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。  ----アラン・ケイ」(P.420)。
 進化思考はまだまだ新しいコンセプトなので、冗長な部分や逆に展開が不足している部分があるように感じるし、実践してみて成功したり失敗したりした例も不足している感じ。しかし、デザインや問題解決の技法として提案されたものとしては、その総合性と体系性において、KJ法以来という感じがする。実際に活用されることによって進化思考自体が進化することも期待したい。

筒井康隆・蓮實重彦著『笑犬楼vs.偽伯爵』2023年02月09日 22:35

 対談、批評、往復書簡。対談は大江健三郎に関するもの。批評は、筒井康隆による『伯爵夫人』論と蓮實重彦による『時をかける少女』論。往復書簡は、お互いの、映画や音楽、演劇を含めた文学グラフィティ。年寄り同士だから当然かもしれぬが、全体にノスタルジーに満ちている。特に古い映画に対する愛情が溢れ出ている。二人の共通点はもう一つあって、それは「戦後民主主義が嫌い」ということ。あ、もう一つあった。ヘビースモーカー。

ナターシャ・ヴォーディン著『彼女はマリウポリからやってきた』2023年02月13日 22:36

 長編。内容については、巻末の「訳者あとがき」が見事にまとめているので引用する。
 「マリウポリはこれまでくりかえし激しい破壊を経験してきた。ロシア革命での市街戦、ナチスドイツによる占領と破壊、マイダン革命にともなう新ロシア派、分離主義者による騒乱、そして壊滅的な今回のロシアによるウクライナ侵攻で四度目になる」(p.340)。
 「戦争と内乱、貧困と飢餓、強権と差別、そして狂気、暴力、破壊、死と、古来より人間を苦しめてきた不幸と悲惨の一切合切が勢ぞろいしたような話が展開する。人道をせせら嗤う無法と法の顔をした非道に翻弄された母とその一族の数奇な運命を作者ナターシャ・ヴォーディンが凝視する」(p.340)。
 「物語は、作者ヴォーディンの母の過去探しを発端に、思いがけない新発見の連鎖が母の近親者たちの説明のつかない思考や行動、彼らの被る災禍へと展開し、読む者を途方もない歴史の闇へと導いていく」(p.341)。
 「ヴォーディンの一家は歴史の空白に取り残された存在だったといえる。十月革命後のソヴィエト社会では居場所を失った大資本家の一族として責めさいなまれ、ナチスドイツの占領下ではウクライナ人故に人間以下の扱いを受け、戦後はドイツ軍に協力した強制労働者ゆえに故郷のソ連で裏切り者呼ばわりされ、ドイツに残れば勝者であり占領者であるソ連の化身として憎悪される。いつでもどこでものけ者、嫌われ者として生きなければならない。作者の一族はこうした境遇にあって、妥協、反抗、反体制活動、反革命運動、沈黙、忍従、現実適応あるいは否認、過去への逃避と、それぞれのやり方で何とか生きる道を探るが、母ひとりだけはうまく立ち回れず、災禍をすべて引き受けるかのようにあらゆる場面で犠牲者となる運命を甘受する。そして自らを始末してしまう」(p.342)。
 ドキュメンタリーと小説の中間のような形式で、ドイツ本国の書評でも分類に迷ったらしい。歴史の不条理に満ちた作品だが、何かをあるいは誰かを糾弾するような調子はなく、淡々と描かれる。その一方で、事実を客観的に述べるにとどまらず、残された資料や証言からは判らない部分の「あり得たかもしれない姿」が、作者によってさまざまに想像されている。自分の親族たち、特に若くして自殺した母の心に寄り添おうとする作者の意図が伝わるが、それが果たされることはない。

リディア・デイヴィス著『話の終わり』2023年02月16日 22:18

 白水uブックス収録を機に再読。著者と思われる主人公が、年下の恋人と別れて後も未練を断ち切れず、いつまでもぐずぐずと付き纏う主筋に、数年後にその小説を書いている著者の様子がメイキングビデオのように挟まれる。著者はできるだけ本当のことを書こうとするのだが、どうも自分が信用できないのだった。
 「私の記憶が間違っているのかもしれない。私はこの話をできるだけ正確に語ろうと努力してきたが、ある部分はまちがっているだろうし、意図的にせようっかりにせよ、何かを言い落としたり付け加えたりしたこともたしかにあった」(p.285)。
 「私はときに矛盾することも書いている。彼は私に心を開いていたと書き、心を閉ざしていたと書いている。私といるとき無口だったと書き、口数が少なかったと書いている。謙虚だったと書き、傲慢だったと書いている。彼のことはわかっていたと書き、彼が理解できなかったと書いている。自分は四六時中だれかと会っていた書き、常に独りだったと書いている。いつもせっかちに動きまわっていたと書き、ずっとベッドに寝て動くのもおっくうだったと書いている。それらすべてがそのときどきで真実だったのかもしれず、現在の気分しだいで思い出す中身まで変わってしまうのかもしれない」(p.286)。

土屋賢二著『長生きは老化のもと』2023年02月22日 22:42

 ユーモアエッセイ集。
 「格言というものは、「だれの発言なのか」「根拠があるのか」と問うてはならない」(p.7)。
 「問題というものは、何かが思い通りにならないから発生する。これまで、わたしは思い通りにならないのなら、わたしが相手の思い通りになればいい、と考えて苦境を切り抜けてきた。だがウイルスの思い通りになった死ぬ恐れがある」(p.19)。
 「この十年間で当たった予想は、「今度も予想を外すだろう」という予想だけだ」(p.22)。
 「今年も予想の外れ方は順調だ」(p.25)。
 「予想が当たることもある。新年の誓いを立てた後、挫折するのは確実だ。過去、正月に誓いを立て、松の内が終わる前に挫折してきた。(略)あまりにも実行できないから、「二度と誓いを立てない」と誓った年もある」(p.25)。
 「「夫が馬だと思い込み、厩舎に住み、四つ足で歩き、干し草を食べてるんです」/「治せますが、時間と金がかかりますよ」/「お金は問題ありません。夫はすでに二レース勝ってますから」」(p.71)。
 「鉄は熱いうちに叩け。わたしがいつまでも熱いと思ったら大間違いだ。叩くには七十年遅すぎる」(p.88)。
 「紀元前五世紀の古代ギリシアで奴隷の身でありながら「わたしは何と自由なんだ! 何もかも思い通りだ!」と叫んだ詩人アルキクセノスをご存じだろうか。知っていると答えた人は、わたしがさっき考えついた人物をどうやって知ったのか説明してもらいたい」(p.96)。
 「小学校で血液の循環を教えていた先生が逆立ちをしてみせ、こう言った。/「ほら顔が赤くなるでしょう? 血が下に行ったからよ。じゃあ、ふだん立っているとき、どうして足が赤くならないの?」/「先生の足は空っぽじゃないから」」(p.105)。
 「無価値の価値」(p.127)。
 「老人のアドバイスには耳を貸さないことだ。アドバイスしたがる老人になるのが関の山だ」(p.198)。