フェルディナント・フォン・シーラッハ著『テロ』2022年06月01日 21:49

2021年 2月20日読了。
 戯曲。講演録「是非ともつづけよう」を併録。法廷劇である。被告は戦闘機パイロットの空軍少佐である。旅客機をハイジャックしたテロリストが、サッカースタジアムに墜落させようとしたのを撃墜したのである。少佐は乗客百六十四人を殺して、スタジアムの観客七万人を救ったのである。いわゆる「トロッコ問題」の極端な奴だ。
 法律を杓子定規に捕らえれば、少佐は殺人罪で有罪である。問題は、道義的な「超法規的緊急避難」が適用されるか否かである。超法規的なので、法律には規定されてない。作品には、有罪と無罪の両方の判決が併記されている。どちらも適用可能なのである。正しい答えはなく、その都度判断していかなければならない。倫理とはそういうものである。
 併録の「是非ともつづけよう」は、雑誌「シャルリー・エブド」が受賞した時の記念スピーチ。この雑誌は、預言者ムハンマドの風刺画を掲載して、放火、殺人などのテロにあった。スピーチはこの雑誌を応援する内容。
 「風刺は限界を超えることで真骨頂を発揮します。制限がなくなれば、風刺も存在しません。すべてが許されるとき、風刺は必要とされなくなるのです」(p.146)。
 ベンジャミン・フランクリンの警告が引用されている。「安全を得るために自由を放棄するものは、結局どちらも得られない」(p.158)。

高丘哲次著『約束の果て 黒と紫の国』2022年06月02日 22:02

2021年 2月24日読了。
 長編。「日本ファンタジーノベル大賞2019」受賞作。舞台は我々の住む世界に良く似た、しかし少し異なる世界。遠古より伝わる二冊の古文書は、偽書と小説であるとされ、内容は事実と考えられなかった。しかし、父より二冊の書物と古い青銅器を受け継いだ男は、その物語の結末をつけるために旅に出る。二冊の書物には、五千年の昔の伝説の国、壙国と臷南の物語が描かれていた。
 一種の建国神話であり、識人と呼ばれる異相異能の者たちの闊歩するファンタジーである。筋立てとしては、ボーイミーツガールストーリーでもある。
 中盤まで読むと、大体こうなるんだろうなあ、という予想はつくし、おおよそその通りの展開するのだが、だからつまらないということはなく、むしろ、結末へ向けて雪崩れ込むカタルシスがある。
 臷南の女王がなんともとらえどころのない少女として描かれる。このタイプの女性は、繰り返し描かれてきたが、あまり飽きるということがない。女というものは男にとって永遠の神秘なのであろう。女性はどう読むのであろうか。
 夏目漱石の『三四郎』を女性が読むと、美禰子は、男を惑わせて楽しむ嫌な女に映るらしい。「何がストレイシープだ」だそうである。
 冒頭と結末で、壙国の黒と臷南の紫というイメージの対比が強調されるのだが、間の物語でその色のイメージが強調されていないので、なんだか唐突な感じもする。それが失敗かというと微妙な感じで、その強調しない、あっさりした感じが、物足りないようにも好ましいようにも思える。

石川宗生著『ホテル・アルカディア』2022年06月03日 21:48

2021年 2月27日読了。
 ショートショート集。いずれも不条理系で、落ちらしい落ちもないものが多い。ホテル・アルカディアの支配人の娘プルデンシアは、首都から帰ってくると全く言葉が話せなくなっており、やがて敷地の端にあるコテージに閉じこもった。アルカディアに宿泊中の七人の芸術家たちは、プルデンシアを慰めるため、物語をたくさん作って語り聞かせた。これが導入の枠物語になっている。
 この枠物語の面白さに比すると、その内容に当たる一つ一つのショートショートはやや軽い口当たり。しかし十分に面白い。俺が一番面白かったのは、邸宅の庭にアイスコーヒーを用意して、飛来する正体不明の有翼の美女アンジェリカを待つ「アンジェリカの園」。
 「チママンダの街」は、天を突く巨大な塔の物語。バベルの塔以来、連綿と語り継がれる形式だが、不思議と飽きることがない。調査団が塔を登っていく話なのだが、ダンテの『神曲』を模した構成になっている。

酉島伝法著『るん(笑)』2022年06月04日 21:42

2021年 3月12日読了。
 世界設定の共通する連作三編を収録。タイトルの響きの楽しさに反して気の滅入る作品集。一種のディストピア小説で、オカルト的な迷信が支配する近未来を描いている。現在でも、はっきりした根拠もなく「体にいい」あるいは「縁起の良い」食べ物や持ち物を進めて来る人がいるが、ああいったことのうんと極端な社会である。
 科学は全否定されないまでも強く疑われていて、皆テレビもパソコンも携帯もできるだけ使わないようにしており、よほど緊急のとき以外、病院にもいかない。そして、人々は相互に監視し合っていて、社会の規範に反する行為を咎め合う。幸福な人が一人も出てこない。
 忌まわしいのは、三編を読み進むにつれて、迷信支配の度合いが進んでいくことである。我々の良識から見れば明らかに間違っているので、阿部公房じみた不条理感が満ちているが、登場人物たちは、少なくとも大きな疑問は持たない。そして、社会の押しつけてくる決まりを守ることで主人公たちはみな心身ともに具合が悪くなっていく。
 社会は奇妙だが、物理学に反するような明らかに神秘的なことは起こらない。誰かの霊に憑かれているようにも見えるが、ただ精神に失調をきたしているだけとも思える。誰かに心を読まれているようにも見えるが、単なる偶然とも思える。霊が見えているのか、そう思い込んでいるだけなのか。そんな出来事が繰り返し描かれる。
 それぞれの短編は、一つの家族とその周辺しか描かないので、この奇妙な社会が、世界中に広がっているのか、日本だけのことなのか、さらに狭い地域だけのことなのか最初はよくわからない。酉島伝法らしい奇妙な文字遣いもある。
 「読書メーター」を見て思ったのだが、ディストピア小説だからか、警告や教訓を読み取ろとする人が多い。以前は、日本の読者は真面目だなあ、と思っていたのだが、小説から主義主張を読み取ろうとする傾向は米国人の方が強いらしい。

集英社文庫編集部編『短編宇宙』2022年06月05日 22:29

2021年 3月17日読了。
 宇宙をテーマにしたアンソロジー。七編収録されていて、SFと呼べるものが四編。酉島伝法の書下ろしが目当てで読んだのだが、最も気に入ったのはSFではない二編。
 寺地はるなの「惑星マスコ」は、田舎の街で出会った三人の居場所がない人たちの話。一人一人が活き活きと描かれていて楽しい。理解し合えないことを肯定的に捕らえた結末も良い。
 「相手を好ましく思うことと、わかりあえることは違うから」(p.82)。
 川端裕人の「小さな家と生きものの木」は、登場人物の魅力という点では「惑星マスコ」に劣るが、宇宙の進化と生命の進化をフラクタル的な一つながりととらえる視点が素晴らしかった。俺も宇宙と生命(それと知性)には相似性があると思っている。ざっくり言えば「むやみに多様化しようとする一方で、全体としては統一性がある」ということである。多様性と統一性が矛盾せずに両立している。