村上春樹 柴田元幸著『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』 ― 2021年12月19日 22:22
20年 1月27日読了。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳した直後の村上春樹と柴田元幸の対談とエッセイ。
村上「あるいはフィジカルに、徹底的にタフにならなければならない。そうしないと、流動性が支えきれなくなって、足が止まってしまうか、それとも移動するということ自体が表面的に制度化されてしまう可能性があります。たとえばビート文学みたいに。つまりシステムに自分を捉えられないようにすることも大事だし、それと同時に『システム化しない自分』というシステム化をも避けなければならないわけです」(p.152)。
「『キャッチャー』のいちばんのすごさというのは、サリンジャーがこの時点では、物語の流動性を実にしっかりと支え切っているということですよね。とにかく、フットワークの軽さというか、能弁性をフルに動かしまくって、自我の姿を簡単には捉えさせないというのかな」(p.153)。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳した直後の村上春樹と柴田元幸の対談とエッセイ。
村上「あるいはフィジカルに、徹底的にタフにならなければならない。そうしないと、流動性が支えきれなくなって、足が止まってしまうか、それとも移動するということ自体が表面的に制度化されてしまう可能性があります。たとえばビート文学みたいに。つまりシステムに自分を捉えられないようにすることも大事だし、それと同時に『システム化しない自分』というシステム化をも避けなければならないわけです」(p.152)。
「『キャッチャー』のいちばんのすごさというのは、サリンジャーがこの時点では、物語の流動性を実にしっかりと支え切っているということですよね。とにかく、フットワークの軽さというか、能弁性をフルに動かしまくって、自我の姿を簡単には捉えさせないというのかな」(p.153)。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://castela.asablo.jp/blog/2021/12/19/9449319/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。