アーシュラ・K・ル=グウィン著『火明かり ゲド戦記 別冊』 ― 2026年06月22日 22:20
ゲド戦記シリーズの短編二編と、関連する創作論ファンタジー論的なエッセイ四編を収録。短編「火明かり」では、ゲドのまったく英雄的ではない最期が描かれる。
「魔法の術は芸術的行為である。この意味で三部作は、芸術にかかわる創造の体験であり、創造の過程であると言える。この環状構造はファンタジーには常に存在するものだ。自らの尾を貪りク喰う蛇。夢は夢自身を語っているに違いない」(p.155「夢は自らを語る」)。
「アースシー三部作に関する手紙で、アメリカの読者から寄せられたものは、ほとんどが十六歳から二十五歳のあいだに限られている。イギリス人のほうは、当然予想されできることながら三十歳以上の傾向が強く、さらに男性が多いのも顕著な点と言える(略)。この年齢の差は、イギリス人がアメリカ人よりも子どもっぽいことを意味している、そんなふうに解釈する人もいるかもしれないが、わたしの見方は違う。要するに、イギリス人の読者は、自らが大人であることを弁明する必要がないほど成熟した大人なのである」(p.158「夢は自らを語る」)。
西欧人の、特にアメリカ人の悪い癖だが、メタファーを探して安心しても意味がない。竜とは何か。影とは何か。言葉で解釈することは可能だが、繰り返し語られることこそ、こういった元型の意味であろう。
「魔法の術は芸術的行為である。この意味で三部作は、芸術にかかわる創造の体験であり、創造の過程であると言える。この環状構造はファンタジーには常に存在するものだ。自らの尾を貪りク喰う蛇。夢は夢自身を語っているに違いない」(p.155「夢は自らを語る」)。
「アースシー三部作に関する手紙で、アメリカの読者から寄せられたものは、ほとんどが十六歳から二十五歳のあいだに限られている。イギリス人のほうは、当然予想されできることながら三十歳以上の傾向が強く、さらに男性が多いのも顕著な点と言える(略)。この年齢の差は、イギリス人がアメリカ人よりも子どもっぽいことを意味している、そんなふうに解釈する人もいるかもしれないが、わたしの見方は違う。要するに、イギリス人の読者は、自らが大人であることを弁明する必要がないほど成熟した大人なのである」(p.158「夢は自らを語る」)。
西欧人の、特にアメリカ人の悪い癖だが、メタファーを探して安心しても意味がない。竜とは何か。影とは何か。言葉で解釈することは可能だが、繰り返し語られることこそ、こういった元型の意味であろう。
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