エイドリアン・チャイコフスキー著『時の子供たち』上下2022年10月06日 22:21

2022年 5月22日読了。
 長編。ドクター・カーンが主導する、系外惑星をテラフォーミングし、そこで猿を知性化する計画は、反対派のテロによって失敗した。辛くも生き延びたドクター・カーンは、監視衛星のなかで人工冬眠をしながら救援を待つ。一方、惑星上では、猿を知性化するはずだったナノウィルスが、新たな宿主として蜘蛛を選んでいた。蜘蛛たちは独自の文明を発達させていく。ドクター・カーンが眠りについてから二千年の後、滅亡した地球から新天地を求めた避難船がやってくる。知性化された蜘蛛たちが文明を発達させていく歴史と、滅んだ地球から避難してきた人間たちの旅が交互に語られる。
 蜘蛛たちの生活や文化が実に魅力的に描かれる。蜘蛛たちの言語は身振りや糸の振動、あるいは化学物質で構成されている。蜘蛛たちに音声でコミュニケーションするという発想はない。幹を上下し、糸でぶら下がり、糸を編んだ皮膜で滑空する蜘蛛たちの空間意識は三次元的で、人間のような床を持った建築もない。蜘蛛のジェンダーは人間と逆で、体の大きな雌が社会を支配していて、雄は奴隷的な単純労働者か、さもなければ「交尾の後に食べるもの」である。糸でさまざまな道具を作り出せる蜘蛛たちは、人間と比べると、火を使用し始めるのが遅く、機械工学が発達していない代わりに、生物を利用したバイオ技術が発達している。
 蜘蛛たちに比べると、人間たちには何とも魅力がない。愚かしく可愛げがない。人間たちのパートを読んでいると苛々してくるほどである。最初は作者に人間を魅力的に描く能力がないのかと思った。愚かなら愚かなりに、悪ければ悪いなりに、魅力的な人間は描けるはずである。人間が魅力なく描かれているのは作者の意図だ、と気づいたのは上巻を読み終わる頃であった。畜生、作者の思う壺だった。作者は人間に絶望しているのかもしれないが、完全に嫌ってはいないようである。希望の持てる結末だからである。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://castela.asablo.jp/blog/2022/10/06/9531354/tb