牧野修著『万博聖戦』2022年09月28日 22:20

2022年 4月24日読了。
 長編。中学生のサドルは、ある時オトナ人間による侵略に気づく。オトナ人間とは、ごく少数のルールを決める人間と大多数の支配される人間で構成される社会を目指す者たちだ。彼らは自由を憎む。オトナ人間たちは子供たちを洗脳する計画を着々と進めていた。
 サドルとシト、未明の三人の中学生はオトナ人間たちに戦いを挑む。三人には「コドモ軍」の支援があった。コドモ軍は「嘘とほんとの区別をしない世界」に存在する。決戦の場は一九七〇年と二〇三七年の大阪万博だ(この作品では二〇二五年の万博は中止になっている)。
 ディストピア小説によくある警告的な意味はこの作品には少ない。だいたい思想が雑だ。勢力がオトナ人間とコドモ軍に二分されていて中間がなく、両方の要素を持つものは「気持ち悪い」という理由で切り捨てられている。しかしこの雑さは欠点ではなく、ティム・バートンにも通じるようなキッチュな魅力を醸し出している。
 牧野作品の例に漏れず、こういっバランスを欠いたたキッチュさがこの作品の大きな魅力で、奇を衒った奇怪な事物が次々に登場して飽きさせない。特に登場人物が皆エキセントリックである。それらが、十分に描写されぬうちに次々に現れては惜しげもなく消えていく。この狂騒的な展開を「SFが読みたい!」で「祝祭的」と評している。
 そして、読み進めていくうちにこの作品全体が『ピーターパン』のオマージュであることが分かる仕組みは、意外にスマートである。

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