宮内悠介著『遠い他国でひょんと死ぬるや』2022年01月04日 22:04

20年 2月25日読了。
 長編。主筋だけを追えば、全体にユーモラスな語り口の冒険活劇。主人公の須藤はテレビ番組のディレクターだが、社会派の彼は思ったような番組が作れず、制作会社を辞める。第二次大戦末期、フィリピンで兵士として若くして死んだ詩人、竹内浩三の幻の第三ノートを求め、須藤はフィリピンへ渡る。須藤はそこでテレパシーや念力のような超能力を持つ女ナイマと出会い、ある漁村の日本人夫婦誘拐事件に巻き込まれる。
 物語には複数の軸がある。第一の主題は詩人竹内浩三へ寄せる須藤の思い。第二の主題はフィリピンという国の現状。第三の主題は第一の主題と関連するが、フィリピンと日本の間に横たわる歴史。どうもこの三者が、有機的に結び付かないままバラバラに進行する。ナイマの神秘的な力も筋立てに重要な役割を果たさない。
 しかし、宮内悠介ほどの手練れが、そんなミスをするとは思えないので、これは意図的な散漫さかも知れない。だとすると、俺が読み切れていないのであろう。
 登場人物達は皆それぞれに事情があり、完全な悪人も完全な善人も居ないので、エンターテインメント的カタルシスは弱いが、それは欠点に成っていない。登場人物が皆魅力的だからである。
 須藤と行動を共にする若い女性が二人登場する。彼女たちは異口同音に須藤を「あなたは自分を過小評価している」と批判する。須藤のこの自信のなさは、自分に対する「確信のなさ」に由来する。須藤は何度も「ここの人達は歴史の中で生きているが、自分だけが歴史の外に居る」という意味のことを言う。
 須藤は歴史の中で生きたいと思っているわけだが「自分に歴史に関る資格があるのか」という迷いがある。長年日本で「歴史と切れた」暮らしを続けていたからである。そのためには何か「日本とフィリピンの歴史の全体像」のような物を知る必要があると漠然と思っているのだが、どこまで行ってもそんな物は得られない。物語の散漫さは、それに対応しているのかもしれない。

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