津久井五月著『コルヌトピア』2021年10月03日 21:56

19年 6月17日読了。
 中編と呼ぶか長編と呼ぶか迷う長さ。大震災を経て復興した二十一世紀後半の東京。植物を情報処理装置として利用する新技術「フロラ」を活用するため、東京二十三区全体を取り囲む環状緑地帯が作られている。
 主人公は、フロラに関する技術者と研究者。筋立てとしては、環状緑地帯で起こったフロラに対する一種のサイバーテロを解決していく物語と、植物と人間が接続されることに依る新たな認識や思考の可能性の物語が絡み合って進行する。
 この植物を使った情報装置という着想が抜群に魅力的である。「植生が複雑で変化に富んでいるほど、フロラが創発するパタンも多様になる」とか「フロラのパタン創発に於ける動物や昆虫の関り」とか、刺激的な関連アイデアが頻出する。
 また、植物について我々は、と言うか俺は、ついつい無意識に地上に出ている幹や枝や葉や花が主体だと思ってしまうが、根の方が主体で、地上部分は根に必要な栄養やエネルギーを吸収するための附属器官とも考えられる、と気付かされたのも収穫だった。
 勿論、どちらが主体でもなく全体を系として見なければならぬという視点もあるし、それをさらに生態系まで進める視点もあり得るし、逆にミクロ方向に分割する視点もあり得る。フラクタルの考え方を導入したらどうか、など様々な思い付きを誘発する。
 主人公の意識が植物情報系と接続されて、認識や思考が拡張される描写が、殆ど神秘的とも言える魅力を放っている。これをこそ最後の山場に持ってくるべきではなかったか、と俺は思う。これは「ハヤカワSFコンテスト」大賞受賞作品で、選評では「登場人物の性格が弱い」とか「筋立てがなってない」とか評されていたが、この植物知性の描写で全て帳消しではなかろうか。
 ウェブで検索すると、やはり「登場人物が魅力に乏しい」とか「筋立てのカタルシスが弱い」とか「薄味」とかいう感想が多いようだ。『錆喰いビスコ』の次に読んだせいか、俺はむしろ清潔感を感じて好ましかった。まさにその描写の先鋭性ゆえに数多く売れる作品ではないだろうが、SF界全体を刺激する力の大きな作品と見た。
 これも個人的な事だが、たまたま読んでいた『ナショナル ジオグラフィック』のバックナンバーで「“会話”する森」(2018年6月号)という記事を読んだばかりだったので、おお、シンクロニシティ、と思った事であった。

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