養老孟司著『「自分」の壁』2020年05月31日 21:40

16年 5月23日読了。
 明治以来続く、西洋的な「個人」と日本的な「世間」の折り合いの悪さについて考えた本。折り合いの悪いまま百年以上二重基準で遣って来たらしい。
 どうも日本人はそういう「前提」を意識化というか言葉化して確認する事を無意識に嫌うらしく、体系や構造を考えずに対症療法的に問題を解決しようとする。前提と成る思想や理想は現実とは直接関係ない抽象的な物と考えている節もある。
 だから前提を確認しないまま、何となく「阿吽の呼吸」で遣ろうとする。無駄な打ち合わせがないから巧くいく時は素晴らしく効率的だが、まずくすると何となく戦争に突き進んだりする。
 確認しないまま何となく基準を共有するのが「世間」で、自分を意識化し確認した物が「個人」だとすると、両者が折り合わないのは当然である。「暗黙の阿吽」のどこに「個人」が在るか。大体そんな事が書いてあったように思う。違うかも知れないが。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://castela.asablo.jp/blog/2020/05/31/9252822/tb