ジェフ・ヴァンダミア著『全滅領域 サザーン・リーチ1』2019年12月01日 21:11

15年 6月20日読了。
 冒険活劇かホラーを想像させる題名であり、カバー裏の紹介にも大型エンタテインメントとあるが、読んでみるとシュルレアリスティックな幻想小説か不条理文学に近い印象である。巻末解説ではストルガツキー兄弟の『ストーカー』やバラード『沈んだ世界』『結晶世界』を引き合いに出しているが、地球上に現れた特殊な領域を探索する物語である。
 序盤は、調査隊自体の奇妙さや調査隊を送り込んだ機関「監視機構」の不可解さが強調されて、その世界の異常さがどのような物か見えなくて苛立つ。作者の思う壷である。次々と死んでいく調査隊員、発見された前回迄の調査隊が残した膨大な記録、といった展開の後に漸くこの世界の真の異常さが現れ始める。水見稜の『マインドイーター』が好きな人には面白いだろう。

笙野頼子著『一、二、三、死、今日を生きよう!──成田参拝』2019年12月02日 21:36

15年 6月22日読了。
 エッセイとも小説とも付かぬ作品集。時期としては「だいにっほん」三部作を書く直前くらい。成田闘争を垣間見る取材や飼い猫の死などが描かれる。
 著者は抑圧者の抑圧その物以上に、抑圧に無自覚な事或いは気が付かない振りをしている事、なかった事にしようとする事、つまり誤魔化す事、誤魔化しながらエバっている事に腹を立てているようだ。そして、そのような日本の権力構造の成立過程を宗教史に求めている。
 身体性という言葉が何度か使われている事が俺には興味深かった。「だいにっほん」三部作では、多く内面という言葉で表現されていた物である。内面と身体では逆ではないかと思うかも知れぬが、笙野が内面とか身体性とかいう言葉で表したかったのは、形式に対する「実感」の如き物であろう。抑圧者は「形式」に依って「実感」を押し潰しに来る。
 俺としては「身体性」の方がしっくり来るが、まあ言葉の選び方は(そして文章その物も)最終的には作家の生理が、それこそ身体性が決める事だから、他人がとやかく言う事ではない。

笙野頼子著『萌神分魂譜』2019年12月03日 20:51

15年 6月24日読了。
 ほぼ作者の主人公の信仰遍歴譚。主人公は神に救いを求めているらしい。救われないとそれまで祈っていた神を棄てているから。そうして自身が神、金毘羅権現と成る、或いは金毘羅であった事に目覚め、自分の分魂である萌神が台所の床から生えているのに出会う。以来主人公は萌神と共にある。
 彼女は救われたのであろうか。良く判らない。が、某かの慰めには成っているようではある。萌神とは何か、分魂とは何か、本当の処主人公と萌神とはどのような関係か、良く判らない。急いで判る必要もないが。
 題名が記でも禄でもなく「譜」と成っているのが気に成る。譜は楽譜の事であろうが、だとするとこの小説は本来演奏されるための物であろうか。それとも作者の奏した楽を採譜した物であろうか。読者はどう演奏すれば良いのであろうか。

笙野頼子著『おはよう、水晶──おやすみ、水晶』2019年12月04日 22:09

15年 6月25日読了。
 私小説なのかエッセイなのか難しい処だが、良く考えたらそんな事はどうでも良い。現在では会う事はなく記憶の中でしか触れ合えないヒトトンボというのが大変に面白い。「異形コレクション」にあった確か牧野修の作品だと思うが、記憶の中を近付いて来る女、を思い出したりした。ヒトトンボと猫の話を中心に、相も変わらぬ論争もある。また「千のプラトー」をやる(どうやるのかは知らぬが)事にも意欲を示しており、それにも興味を引かれる。

笙野頼子著『海底八幡宮』2019年12月05日 21:59

15年 6月27日読了。
 自由な先住民と渡来の抑圧者という構図は、網野善彦、赤坂憲雄、中沢新一らの漂白民-農耕民説や、梅原猛的な縄文文化と弥生文化の葛藤説などに通じる処があり、文学的影響は笠井潔のコムレ・サーガなどのエンターテインメントにも見られる。
 ただ、笙野の作品内にも参考文献にも、網野らの名は見えず、独自の経路でこの構図に至った物と思われる。笙野は独創性が低いとか、遅れているから駄目だなどという話をしているのではなく、別経路でも似た構図に辿り着くという事は、見解の信憑性を高めているように思われる。
 ブロガーに「なりすまし」て現れた、頻りに「にに、にに」とか「しししし」とか口走る貂に似た女神が愛らしい。繰り返す電話で主人公を悩ませる、「上」の女流文学者が面白い。粘着される方はたまった物ではないが。「あなた、取るのよ」笑った。「千のプラトー」の名は何度か出てくるがまだ本格的には踏み込んでいないようだ。