奥泉光著『その言葉を』2019年08月01日 17:53

14年 9月12日読了。
 二編収録。「その言葉を」は、他者との交流をしようとしない青年が主人公。何しろコミュニケーションを拒むのでその内面がどのような物かは良く判らないが、拒絶的であるという点では首尾一貫している。しかし彼は少年時代は大変な秀才で、学校などでは指導的役割を果たそうとするような男だった。何かが彼を変えたのだ。作中で、きっかけと成った事件については語られるが、彼の心の動きは判らないままだ。少年時代の回想を除いて、最後の一行まで、作中で彼は言葉を発しない。言葉を失った、或いは拒否した男。語り手の饒舌が対比的。
 ところで、ジャズドラムを趣味とする語り手はこんな事を言う。「ジャズがその姿形を刻一刻と変革し、形式と情熱、人工的構築と内なる自然の発露、構造と逸脱、創造と破壊、革新と保守のせめぎあいの中で沸騰した、まさに一つの芸術様式として歴史を持ったのは六〇年代までのこと」。異論は多々あろうが、一つの見方ではあろう。終ってしまったのなら別の道を探せば良いような物ではあるが、一時期情熱と愛情を注いだ対象に対する未練、郷愁、そして愛惜のような複雑な感情があって割り切れない気持ちも良く判る。つまり青春だ。個々の作家や作品には素晴らしい物も多いが、運動としてのSFも終わっているだろう。別の何かが始まる気配もない。
 「滝」は、ある新興宗教を信仰する少年たちが、教団の儀式である山岳修行を行う様子を描いた物。はっきりとした悪意を持った者は居ないのにボタンを掛け違えたように悲惨な結末に誘い込まれていく。人里離れた山が舞台と成っているためか、何も超自然的な事は起こらないのに、全体に幻想的な雰囲気に包まれる。主人公の一人である勲という少年が、仮面のような微笑を張り付かせて内面を窺わせず、最後まで何を考えているのか良く判らないのは「その言葉を」に似ていない事もない。真ん中に穴を開けておく技法。

奥泉光著『ノヴァーリスの引用』2019年08月02日 16:49

14年 9月14日読了。
 ミステリーから幻想へという構成の最初期。死という主題、日本人という主題が扱われているが、考察自体は目新しくはなく、深さも感じないが、やはり幻想と現実が交錯し境界が曖昧に成っていく処に凄味を感じる。

奥泉光著『「吾輩は猫である」殺人事件』2019年08月03日 18:23

14年 9月21日読了。
 漱石の『猫』の続編という設定。死んだと思った猫が上海へ向かう船中で目覚める。多数の猫が登場する。いずれも個性豊かで魅力的。原典の文体模写なども楽しさの一つだが、俺が最も魅力を感じたのは、漱石の「夢十夜」の幻想が、様々に織り直されて繰り返される処なのだが、何故か解説では触れられていない。

奥泉光著『バナールな現象』2019年08月04日 22:56

14年 9月23日読了。
 いとうせいこうの解説にある通り、テキストという領土の覇権争いの物語とも読めるが、構造は単純な対立や入れ子ではなく、何気なく入った路地を抜けると思わぬ所に出てしまう、迷宮的に複雑なモザイク状に成っている。読み進むに連れて忘れていたイメージの断片が不意に顔を出し別のイメージと繋がり合い、新たな模様を織り出していく。最大の敵である友人、見知らぬ妻、まだ生まれていない息子、砂漠の国の戦争、海老。登場人物は影ばかりで、どこに本体があるのか判らない。本体はないのかも知れない。

奥泉光著『蛇を殺す夜』2019年08月05日 17:22

14年 9月24日読了。
 中編二編を収録。「暴力の舟」は、必ずしも悪気はないのに周囲の人間の攻撃を誘発してしまい、嫌われ憎まれ、しばしば暴力をふるわれてしまう男の物語。主人公には全く感情移入できず、最後まで何を考えているのか良く判らない。発狂した美女がその主人公と同棲したりして、益々訳が判らない。主人公がうつぼ舟と呼ばれる儀式用の棺桶のような小舟で外海に出て行ったのは、本人が言うように幻覚から逃れようとしたのか、自殺しようとしたのかも判らない。両方とも正解なのかも知れない。
 「蛇を殺す夜」は、婚約者の出身地である紀州の山奥に旅した男が、そこで出会う幻想の物語。突然、世界が奇妙に鮮やかに見え始める処が面白かった。全てがあるべくしてある、必然であるという感じ。偶然ではない秘められた意匠の実現であるかのような風景は、優美な鮮明さを持って迫る。それは心地好いが、自分との隔たりを感じさせる物でもある。そして、傍らに居る婚約者が見知らぬ人のように見えて来る。